8/10(Thu)
熟睡でき、7時15に起床。
バッファローに向け、9.00にチェックアウト。雨が降っていたのでシャトルバスで空港に行きたいと思ったが、予約をしていなかったのでメトロにて空港へ。West
Falls Church でシャトルバスに乗り換える。河崎照行先生も乗り込まれ、車中、話をしながらDulles
International Airportまで行く。UAのカウンターで長い列を並び荷物を預ける。後で知ったことだが、ロンドンで液体物質による爆発テロの未遂があったため、セキュリティが最高レベルに引き上げられていた。セキュリティを通過するに極めて長い列をならび、結局、両者で1時間を費やした。ペットボトルやローションなど液体を手荷物にて持ち込むことは全面禁止であった。
Dulles International Airport, Washington D.C.=Buffalo(UA7223:
12.30−13.44)
20分遅れで搭乗(boarding)が始まった飛行機は、定員30名程度の小型機で、通路も狭く、乗り込むや否やいつもの症状である閉所恐怖症となり、呼吸困難、発汗、吐き気などをもよおす。風を顔に吹き付けて、30分ほどで落ち着く。なお、定刻を30分遅れてBuffaloに到着。Mr.Paul
Youngが空港に出迎えに来てくれ、2時30分にBuffalo
Marriott Niagaraホテルにチェックインする(1340 Millersport
Highway, Amherst, New York)。
4時から5時までProfessor
Dunnettのオフィスで、懸案のInternational Residency
Programについてミーティング(Professor Dunnett, Ms.
Jan Nersinger,
Mr.Paul Young, Ms. Patricia Shyhalla)を持つ。私どものプログラムに対する方針が消極的になったという事情を抱えているため
、顔合わせは気が重く、扇子で扇いでも緊張のため汗が止まらない。UBは、私どもの事前の要求通りに予算まで記した入念な会議資料を準備していたので、腹を決め、こちら側の現況を説明する。
なお、5時過ぎにホテルに帰る。7時からのディナー(Professor
Dunnett, Ms. Jan Nersinger,
Mr.Paul Young)は、市内の閑静な住宅街にある新装なった品の良いイタリアン・レストランに招待される。ワイン、前菜、メイン・ディッシュ、デザートと続き、4人で$300前後を消費したと思われる豪華なディナーであった。
ディナー中のDunnett氏との会話の主題は、日本の大学教育と、日本外交と安保。日本の大学教育の国際競争力欠如は、大学業界の戦略性の欠如、終身雇用に起因する大学教員の教育・研究へのコミットメントの欠如にあるとの持論を氏は展開された。これに同意する。なお、南京大学内にUBブランチ・キャンパスとして一学年に5,000人規模の学部、さらに修士・博士課程までも立ち上げるというプロジェクトを例に、中国の教育への熱意・真剣度を強調され、日本は教育・研究で中国に追い抜かれると主張される。
民主党を支持する彼は、教科書問題、靖国神社の問題についても中国の主張を支持。米国メディアは日本に厳しいとのこと。小泉首相のナッシュビルでのエルビス・プレスリーの物まねは品格に欠けると酷評。
東シナ海のガス田、尖閣列島、竹島問題でも日本の行動を支持しない姿勢。以前から私が主張している通り、ニューヨーク・タイムズを購読する知識人あるいは大学人の間では、中国の存在が突出して大きく、親近感でもChina
Firstとの印象を受ける。米国では日本やヨーロッパ諸国の存在感はない。安全保障の問題では、国家利益からして米国は中国と仲良くすべしとの主張。日本が核爆弾や攻撃ミサイルを保有することに反対しないが、中国と米国の関係の悪化につながる日本の行動を支持できないとの主張。
私見であるが、北方四島の件でも、決断のタイミングを誤り、ロシアが既に豊になった今日ではロシア側からみた日本の魅力は低下しており、二島返還さえも可能性がなくなってきている。核兵器保有は、中国が保有した直後の1970年代に済ませておくべきであった。日本政治、日本外交の最高責任者は歴代先送り主義を踏襲しており、このため日本の国際社会における発言権が大幅に低下していることを実感。わがままで横着な人間が幅を利かすのは国際社会でも同じであり、そうした指導者を持てなかった日本が北朝鮮や韓国にさえも馬鹿にされ、アジアでも影響力を失いつつあることを懸念すべきである。
なお、12時に就寝。
8/11(Fri)
Buffalo
Marriott Niagaraに宿泊
熟睡できず、4時30分に眼を覚ます。ベッドに横たり、5時30分にシャワーをとり、再度眠る。8.30に起き、朝食にビュッフェ($16)を。
11時15分にMr.Paul
Youngがホテルに迎えに来て、彼のマツダRX7にてナイアガラ・フォールに行く。米国側のレストランで昼食をとり、階下のギフトショップにて、滝と米加両国の国旗をアレンジしたフレーム(額)を購入。その後、カナダ側に入り、MAID
OF THE MISTに乗船して(二人分$26支払う)滝の入り口付近に。市内を通り、ぶどう畑の中にあるPeller
Estate Wineryを訪れ、ワインを飲む。甘みが最も強い「Ice wine」のハーフボトル($33)を購入して、Mr.Paul
Youngにお礼として手渡す。続いて、Niagara on the Lakeというオンタリオ湖畔にある美しく古い観光の町までドライブする。この町のGreaves
Jams and Marmaladesというジャム店でProfessor Dunnettへのお礼としてジャムの3品セット($19.95)を購入。夕刻7時にNiagara
Japanese Restaurantでディナー。ビール、寿司、アイスクリームを飲食して$80支払う。内容に比べて極めて高額であるとの印象を持つ。アメリカに入国し8時30分にホテルに戻る。12時30分に就寝。
8/12(Sat)
Buffalo
Marriott Niagaraに宿泊
熟睡でき、7時15に起床。テレビを入れると、Scalped
Com.
のgrow
your hair backの商品「Scalped Com」のコマーシャル。これを見る。
午前中に、空港経由でダウンタウンに行こうかと思ったが、公共交通での行き方がフロントに聞いてもネットで調べても不明なため取りやめ。新聞を読んだり、報告書の作成に取り組んだり。お昼にはホテルから見えるUBのキャンパスを1時間半余り歩いて散策。広大なキャンパスに人影はほとんどない。米国の都市郊外では車がないと動きがとれないことを痛感。
baggageの詰め込みや、本報告の訂正・追加記入をしたりして午後を過ごす。最終日なのでホテルのレストランでディナーを6時30分から7時30分までとる。なお、食事後、ホテル周囲を1時間ばかり散歩。10時30分にベッドにはいる。
8/13(Sun)機中泊
昨晩は早くベッドに入ったが、本日の朝の起床が気になり、寝付かれず、夜間に何度も起きる。6時40分に起床してシャワーをとる。
ホテルを8時15分にチェックアウト。シャトルで8時30分に空港に到着。First
Classのカウンターにならび、すぐにボーデング・パスをもらい、荷物を預ける。セキュリティー・チェックは厳しいが、9時にターミナルに入る。First
Class専用の待合室があるかを尋ねて、「United Air Club」をStar
Allianceの一員として使用させてもらう。クラブはこじんまりしているが内装も感じが良く、関空の「飛鳥」の古ぼけた内装が思い出される。10時20分に搭乗口に行く。
Buffalo=Chicago(UA1225:
10.40=11.19 Terminal 1 )
シカゴではレッド・カーペットクラブを利用。
Chicago=Kansai(Terminal
1 UA877: 12.23-16.00)
MITのナノテクノロジーの教授と通路を挟んで隣となる。日本の
技術水準、研究水準について尋ねる。企業に対する評価は高かったが、彼も大学院教育は良くないとの評価。東大を含め、米国の研究大学に匹敵するような存在は知らないとのこと。反論するも、
彼の意見は変わらず。彼は民主党支持で、話しぶりからして、親中国。クリントン大統領の時代から見られる通り、民主党支持者は中国との良い関係の保持が米国の国益であるとの見解を有する。日本側が最大・唯一の同盟国関係と思いこんでいる日米の絆は、米国では空洞化している。中国やインドが、売り込みをはかるために、実力以上の存在として
自国を印象づけることに多大の努力をしてきた反面、正当に評価してもらおうという努力を怠ってきた日本の政府・外務省、民間団体のお粗末な姿勢が
、国際社会での日本軽視という風潮を加速させてきたと言える。
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