はしがき
実務としての管理会計は企業がビジネスを展開するに際して必要とする情報を提供するプラットホームの中核部分をなす。このため,管理会計技法の選択ならびにそのアウトプット情報の活用の巧拙は,ビジネス・プロセスの効果性と効率性を規定することとなる。こうした重要な機能を担う管理会計が日本の多国籍企業でどのように展開・活用されているのかを明らかにすることが,本書の目的である。
市場経済の地球規模での浸透により,多国籍企業では海外子会社の活動が年々そのウエイトを増している。しかし,多国籍環境にある企業が管理会計の共有知識といえる諸技法をどのように選択し利用しているかについての調査が充分であるとは言い難い。そこで,本書の執筆者は,日本管理会計学会が創立10周年(2001年)に企画した「企業調査研究プロジェクト」の一環として,多国籍企業管理会計の研究を共同で進めることとした。2002年に日本管理会計学会多国籍企業研究委員会(上埜
進委員長,長坂悦敬副委員長,杉山善浩委員,椎葉
淳委員,朝倉洋子委員)を組織し,以来,多国籍企業の経営管理実務に焦点を当てて,調査・研究を進めてきた。その成果の一端が本書である。
同委員会で取り組んだ研究ドメインは,委員会構成員の関心を反映させ,@親会社・海外子会社間の権限の位置関係,A国際移転価格の役割,B海外子会社でのIT投資,C海外子会社での業績評価,D多国籍環境での投資決定法,E国際化・多国籍化の程度の6つであり,本書がとりあげる研究ドメインは,その中の@からDである。以下に,それらを章構成に則して紹介する。
『日本の多国籍企業における管理会計実務 ―概観ならびに分析―』と題する第1章(上埜
進執筆)は,序章としての機能も担っており,本書が対象とする@からDの研究ドメイン全てをとりあげる。この意味で本書を概観する。しかし,同章は本質的に研究論文であり,研究ドメイン毎のリサーチ・クェスチョンを析出し,それらを経験的データに則して検討ないし検証するものである。その際に多様な視点から各課題にアプローチする。なお,同章執筆者が最も関心を寄せたのは,親会社が海外子会社に権限をどれほど委譲しているかという権限の位置関係の視点である。2005年に公布された会社法(平成17年法律第88号)は多様なコーポレート・ガバナンスの選択を可能にしており,同視点の実務における重要性は,今後,一層増すであろう。
『多国籍企業における国際移転価格の役割 ―日系多国籍企業の実務―』と題する第2章(椎葉
淳執筆)は,国際移転価格に関する研究が,これまで移転価格の設定方法を不適切に分類・調査し,その知見を蓄積してきたことを指摘する。そして,移転価格の設定方法を設定過程(誰が設定しているか)と設定基準(何を基準にしているか)という2つの観点から把握することの重要性を明らかにする。また,国際移転価格設定に直接影響を及ぼす要因(税制,業績評価,資金繰りなどの要因)を調査し,そうした要因と国際移転価格の設定方法との関係についても論述する。
『管理会計におけるIT活用 ―日系多国籍企業の実務―』と題する第3章(長坂悦敬執筆)は,ビジネス・モデルとビジネス・プロセスの関係を,企業内基幹プロセスおよび企業内支援・管理プロセスの変革という脈絡でとらえる。はじめに,IT(情報技術)とプロセス管理が密接な関係にあることを確認し,企業内基幹プロセスおよび企業内支援・管理プロセスの変革を推進している多くの企業でERPの利用が進んでいることを指摘する。そうした議論を踏まえ,多国籍企業におけるERPなどの管理会計情報システムに関する実態調査の結果を分析している。海外現地法人との連携では,多国籍企業が,ERPのもつ情報共有インフラとしての機能に,具体的には財務会計システムの機能に大いに期待していること,そして,少なからずがERPを管理会計領域に進めていることを突き止めている。
『業績評価 ―日系多国籍企業の実務―』と題する第4章(朝倉洋子執筆)は,日系多国籍企業における業績評価の現況把握を目的とした調査の結果を論述する。同章は、業績評価指標に対する重要性の認識の程度,BSC(バランスト・スコアカード)の導入状況と海外子会社に導入する場合の障害要因,ならびに業績評価指標の重要性の認識とBSC導入状況との関係,などの確認を研究課題としている。
『国際資本予算 ―日系多国籍企業の実務―』と題する第5章(杉山善浩執筆)は,合理的な海外プロジェクトの採否決定を阻害するであろう「実務の理論からの乖離」という現象を,国際資本予算という文脈の中で探っている。乖離現象の例として,海外投資プロジェクトの採否決定に際してポートフォリオ理論を駆使している企業がそれほど多くないことと,海外投資プロジェクトの評価で推奨される「親会社に送金されるキャッシュ・フローを親会社の加重平均資本コストで割り引く」という指針を実践している企業がごく少数であること,を突き止めている。また,このような乖離現象がなぜ生じているかについても考察している。
以上の各章における論述は,それぞれが執筆者個人の見解にもとづくものであり,執筆者全員の統一見解でないことを申し添えておく。なお,本研究の分析を支える経験的データの主要な源泉は,日本の多国籍企業に対して実施した郵便質問票調査の回答である。この調査は,2004年2月に,一部上場企業(建設業,金融業,不動産業を除く)523社の国際部門責任者に対して行ったものである。
権限の位置関係,移転価格,情報技術,業績指標,投資決定といった本書がとりあげた領域で日本の多国籍企業の実務を対象にした経験的アプローチによる先行研究は少ない。したがって,本書に収録したデータや知見は,経営管理に関心を寄せる研究者のみならず,2005年に公布された会社法(平成17年法律第88号)の下で多国籍企業のコーポレート・ガバナンスや内部統制,すなわち組織構造や会計情報システムなどのデザインに取り組む実務家にとっても,極めて有用であろう。
最後に謝辞を述べたい。本研究は,質問票調査を実施したことから,貴重な時間を割いて頂いた多くの実務家にお世話になった。ご多用にもかかわらず,質問票に丁寧にご回答頂いた方々に心よりの感謝を申し上げたい。また,出版に際し助成金を頂いた日本管理会計研究学会,とりわけ企業調査研究プロジェクトを牽引された片岡洋一先生,門田安弘先生,原田昇先生に謝意を表する(2006年2月
上埜 進記
)。
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